辻潤

とに角僕は時代精神の潮流に押し流されながら、色々の本を乱読した――文学の書物も勿論好きではあったが、哲学めいた本の方に興味があった――しかし、その頃は今から見ると所謂単純だったから、「こんどこそあの本を読んで、ほんとうに『真理』というようなものを、ハッキリ把みたい、『宇宙の謎』というようなものを少しでもいいから解決してみたい」? などとそんなことを真剣に考えて読んだものだが――どんな本を読んでみても自分の頭がわるいせいか結局、なんにもわからないということだけしきゃわからなかった。 しかし、僕のような人間にとっては、自分の人生に対する態度がハッキリ定まらない間はなに一ツやる気にはなれないのである。そして結局、自分の心の根本的態度が動揺しているのだから、なに一つ出来よう筈がない。なんとか早くきまりをつけたいものだとそればかりを気にして暮らしてきたのである。 つまり、僕はスチルネルを読んで初めて、自分の態度がきまったのだ。ポーズが出来たわけだ。